岩出山の天文暦学者
名取春仲物語
〜天を窺い、人を知る〜


シナリオ(一部)


声の出演
 名取春仲(権右衛門 敬純)・・(春、春N)・・・・・・ 沢木郁也さん(アーツビジョン 所属)
 名取春仲(権右衛門 敬純)・・(権)・・・・・・・・・・・・ 千葉一伸さん(アーツビジョン 所属)           
 須江英信 (勇右衛門)・・・・ (勇)・・・・・・・・・・ 宮田浩徳さん(アーツビジョン 所属)
 橋元治正・・・・・・・・・・(橋)・・・・・・・・・・ 押田浩幸さん(アーツビジョン 所属)
 藤 広則・・・・・・・・・・(藤)・・・・・・・・・・ 西村知道さん(アーツビジョン 所属)
ナレーション・・・・・・・・千葉めぐみさん(古川オフトーク通信)

企 画 パレットおおさき

脚 本   黒須 潔・遊佐 徹
脚 色  小林弘美
後   援 岩出山町教育委員会・
協   力
 岩出山町史編纂室・仙台市博物館・東北大学附属図書館
 名取吉蔵さん(許シ春堂)
 須江充宏さん・須江敏信さん・狩野将直さん
 川和田晶子さん(京都大学大学院)

監 修 岩出山町史編纂室


N 人は、いつの時代にも幸せを求めて、理(ことわり)を極めようとするもの・・・。
それぞれの時代、その理をひもとく考え方は、私たちが、今、科学と呼ぶものに等しい影響力を持っていたといってもいいでしょう。
 古(いにしえ)の時代。中国や日本では、この世のあらゆるものが『気』というエネルギーによって形作られていると考えられていました。
 それは陰と陽に分かれ、「木」「火」「土」「金」「水」という五つの気に分かれている、と・・・

   音変わり

N 2000年夏。仙台市博物館は、一対の見事な屏風を購入しました。坤輿(こんよ)万国全図と天文図です。屏風の片隅には、描いた人を示す名取春仲の名がありました。
 名取権右衛門敬純。江戸時代の中頃、1759年に、岩出山荒町の造り酒屋「名取屋」に生まれ、後に名取春仲と呼ばれるようになった天文暦学者です。
 坤輿万国全図は、イタリアの宣教師マテオ・リッチが、中国や日本へキリスト教を広めるため、1602年に中国で作った、太平洋が中心の世界地図です。坤輿(こんよ)とは「大地」を意味しており、名取春仲が描いたこの図は、マテオリッチの図を模写したものでした。

 もうひとつの屏風は、天文図。
 下の部分には、星の図が大きく描かれています。この星の図のもとは、17世紀後半に活躍した、幕府天文方渋川春海とその子昔尹によって作られたものです。
 左上には、仙台藩士・遠藤盛俊が1709年に著した昼と夜の長さを描いた図と、日本からは見ることのできない南半球の星座が置かれ、右上には、北極星を中心とする北の星座たちと、江戸時代の天文学者が星の観測に使った「渾天儀」という道具の図が置かれています。

 屏風の中で大きく描かれた星図には、満天の星々と美しい天の川、そして星を線で結んだ沢山の星座が書き込まれています。しかし、それは私たちが普段から親しんでいる西洋の星座ではありません。
 描かれているのは、中国から伝来した300の星座と、渋川春海が加えた61の星座です。
 月の通り道に沿った星座の名前には、月が「宿る」という意味で宿の字が付けられています。
星空の中の位置を示すときに使った「二十八宿」の星座たちです。

  音変わり

N 春仲の時代、天文道・暦術・陰陽道など伝統的な学問の方法や体系が、西洋からもたらされた地理情報や蘭学によって大きく変えられようとしていました。
 春仲は、中国から伝わってきた学問と、日本古来の学問、西洋の技術や、新しい情報を取り入れて、独自の思想を持っていました。
こういった学問の狭間で、春仲は何を思い星を見つづけていたのでしょうか?

 近年、春仲の門人の子孫宅から、たくさんの秘伝書が発見されました。
 これらの資料から、春仲の学問の全容が判りつつあります。
それは、「天を窺い、人を知る」という学問だったのです。
 
 音変わり

権「幼い頃・・・おさななじみの勇にぃに、今日は日が悪いから・・・と言われた日には、必ず悪いことが起きた。転んだり、川に落ちたり・・・。
 勇にぃは、いろいろな兆しを知る学問があるとも言っていた。
もしも将来のことが見えれば、これに越したことはない。」

春N そのころ家業の造り酒屋では、ある決まりごとがあって、私は、大人になっても、酒造りに携わることができなかったため、毎日本を読んで過ごしていた。そんな私に橋元はるまさ治正先生を紹介してくれたのは、幼いころから勇にぃと呼んだ2つ年上の仙台藩士・須江勇右衛門さんだった。こうして、二十歳を過ぎた頃には私は天文を学び始めていた。

橋「よいか、権右衛門」
権「はあ。何でござりましょう、橋元先生」

  BGM フレーズ

橋「この世は、陰と陽・・・つまり、光と影に分けられ、これがお互いを補い合っているという陰陽の考えがある。
また、木・火・土・金・水の五つの気があるのじゃ。
<DVD動画による陰陽・五行説の説明>
木を燃やすと火が生じ、火が消えれば灰が残り土となる。固まった土は、金や銀といった金属を含み、冷えた金属の表面には水が生じる。
水は、木を育てるといったように順にめぐって繰り返し生み出していくであろう。また、水は火を消し、土は水を吸い込み、木は大地を引き裂き、金属は木を切り倒し、火は金属を溶かすといった、互いに消しあう性質も持っておろう。これは五行の考えじゃ。

橋「陰陽と五行を合わせた陰陽五行説を持ってすれば人の世も、天のできごとも世の中すべてがあらわせるといったものじゃ。」

権「すべてをでございますか。五つの気をつないでいた星の型は、陰陽五行
の理を示す象徴なのですね。」

橋「そうとも、元々この学問は、朝廷に仕える安倍家に伝わっていた陰陽道が基礎となっておる。土御門家ともいわれる安倍家の始まりはしっておろう、安倍晴明様じゃ。」
 
  音変わり

N 安倍晴明は平安時代に活躍した天才的な陰陽師で、日本の天文・暦学を担いつづけた土御門一族は、安倍晴明を始まりとしており、安家とも言われます。
晴明の修めた陰陽道は、宇宙をつかさどるとされた気を観察し、陰陽五行説に基づいて天文を紐解き・暦作りをし、年月や方位などを占って幸福を呼び邪気や災いを退けることを目的としたものでした。世の中のすべてをあらわす気の考え、例えば、
<天体写真>
水星・金星・火星・木星・土星、
惑星を日本でこのように呼び、これに太陽と月を加えて曜日の名前にしたのも、いんよう陰陽五行の考えが反映されているためなのです。

陰陽道は平安時代、京都の貴族の保護を受けて発展したが、戦乱の世に至るころには、後継者だった貴族の勢力が弱まり、形ばかりのものになっていました。

  音変わり

橋「土御門家は江戸時代になって復興した。
5代将軍・綱吉公の頃、渋川春海先生は、土御門泰福様に教えを受け、また、ともに学んで、二人力を併せて、「天文暦術・神道・兵学」をまとめ、学問として完成させたのじゃ。」

橋「天文道は・・・。
"天を窺い、人を知る"学問。神々や自然、人や生き物、この世のすべての出来事は、陰陽五行の気によって生じる。じゃから、太陽や月、星の動きや十干十二支のめぐりなど、天のめぐりを求めてしっかりと暦を作ることは、天が示している意味や未来を知ること、人の世や、自分について知ることもにつながるのじゃ。」

権「その考えが、春海先生の行われた貞享の改暦につながったのですね。」

橋「そう、それまで800年も使われた暦には狂いが生じておったのじゃ。
 幕府は、新たに「天文方」という役職を作り、春海先生をお迎えしたのじゃ。
 春海先生は暦の計算に長けていたが、その数値の奥にある、世の中のことわりと、人とはどうあるべきかを、いつも考えておられた。」

橋「晩年、先生はご子息に天文方の地位を譲られたのだが、残念なことに、ご子息はその後すぐに亡くなってしまった。」

橋「秘伝の品々は春海先生の弟子であった仙台藩士・遠藤盛俊様先生に預けられたが、その後も渋川家の跡継ぎは、みな若くしてお亡くなりになってしまった。秘伝は私の師である佐竹義根先生の手に渡ったのじゃ。」


春N佐竹先生は、多くの弟子を育てており橋元先生もその一人。仙台潘で天文道を広めた功績を認められ土御門家の門人ともなった。
しかし最近では、この学問「天文道」を学ぶ者が少ないという。こんなすばらしい学問を?なぜ。
勉強が進むにつれ、わたしと勇右衛門さんは先生の言葉の解釈を巡って、夜遅くまで議論することもたびたびであった。
  音変わり

春N寛政五年、橋元先生に学び始めて、すでに十年もの月日が過ぎていた。

橋「困ったことになったわい。さくらだ桜田傳右衛門先生がご病気とは・・・・。」

春N桜田先生は佐竹先生から、数々の秘伝書を預かった人物である。
春Nその桜田先生がお亡くなりになると、渋川春海先生から続く大切な学問が途絶えてしまう。
これを憂いた私たちは、桜田先生の門人となり多くの秘伝を学ぶことにしたのだった。

そして・・・桜田先生から多くの秘伝書と免許を受け継いだ私たちは、寛政六年、更に多くの人たちに春海先生の学問を伝えるため、弟子を取ることになったのだが・・・

大変なこととなった。多くの農民が押し寄せたのだ。農民たちは、天文道を学びたがっていた。特に、暦をだ・・・・。

春海先生は、人々の暮らしの目安となるよう、一年を七十二の季節に分け、あらわしていた。

春Nしかし、京都や江戸と、寒冷な東北とでは、季節の移り変わりに大きな違いがある。豊かな実りを得るためには、さまざまな変化が起こる正確な時を知る必要があったのだ。

このころは、大きな飢饉が繰り返し起こっていた

飢えに苦しむ人々・・・。暦で正確な時期を把握していればわずかな異変の兆しもあらかじめ知ることが出来るはず。正確な暦を知ることは、将来の災いを予測し、八百万の神の恩恵を受けること。農業に励む人々にとって、必要不可欠のことであった。

造り酒屋に生まれた私には、農民たちのねがいが、痛いほど解った。

春N橋元・桜田両先生から習ったことだけでは、まだ、不十分だったのだ。

権「勇右衛門さん。民は暦の術と天文を学びたがっています。」
勇「私たちはもっと新しい暦を学ぶ必要がありそうだな。仙台に暦の術を学びに行こう。」

   音変わり

N寛政八年、二人は仙台の暦学者、藤広則の門を叩き、西洋流の暦学を学ぶことにしました。ちょうどこの年、寛政の改暦が始まったのです。

このときの幕府天文方の山路徳風は、仙台に生まれ山路家の養子となった人物です。人々は、仙台潘にゆかりの暦学者が、改暦の御用を手伝うことに誇りを感じていました。

N翌年、土御門家を手伝う為に京都に行った3人の暦学者が仙台に戻ると、人々はその功績を称え、大騒ぎになりました。

しかし、改暦で採用されたのは、仙台の暦学ではなく最新の西洋天文学の考え方を取り入れたものでした。
 暦は星の観測をもとにつくられます。しかし当時、現在では常識となっている「地動説」、つまり、地球も他の太陽系の天体もすべて太陽を中心に回っているということはよく知られてはいませんでした。

地球は宇宙の中心にあって、その地球の周りを太陽が回り、太陽の周りを地球以外の惑星が回るという天動説が当たり前だったのです。
 
 暦学者たちは、困惑していました。そして、権右衛門自身も・・。

権「太陽の周りを全ての惑星が回る・・・そんな、話があるのだろうか!」
勇「地球が動く、とするといったい天文道はどうなってしまうのだ?私たちが計算した暦は無駄だったのか?」

    音終わり

勇にぃと、何日も何日も議論を重ねたが、結論は出ないまま、藤先生から暦の免許を授かる日がきた。

    音変わり
    BGM 星座眺め ゆったりしたイメージ

藤「勇右衛門殿、権右衛門殿。
あなたがたは、天文道の全てを学び、西洋流の暦術も学び終えた。ご苦労であったのう。」

藤「今日は、月が明るいが、いつにも増してきれいな星空じゃ。」

藤「こっちへ来ぬか?今頃は土御門様の所でも、この空を眺めておろう。今宵は月食がある」

権「先生。より正確な暦を作って日食・月食を予報することは天文暦学者の使命ですよね。」

藤「ああ。日々の観測をおろそかにせず、もっと正確な暦を作って古い暦法をどんどん改めていく。そうすれば世の中は栄え、平和になるというもの・・・。」

藤「私は幼い頃から、星が好きでのう・・・
お二人は、どうじゃ?」

<ここで藤先生の案内で、中国星座の紹介や西洋の星座との違い、などが紹介されます。また、実際に江戸時代に起こった月食の様子を再現します)

Nこの時の仙台藩天文方による観測記録は、土御門家ゆかりの福井県なた名田しょうむら庄村のこよみ暦かいかん会館に残されています。
 それはとても精巧な記録でした。


Nそして、
藤「あなた方の学問に対する取り組みは、土御門やす泰なが栄卿も大変喜ばれ、門人として迎え免許もくださるそうだ。多くの民が、暦と天文道を学ぶために待っておるのじゃろう?迷わずに、暦と天文道を教えるのが宜しかろう。」

権「私たちが、土御門様の門人に・・・・?」


藤「それと、これからは土御門家直々の門人になることを望む者も多くなるだろう。どちらかが、学問の継承者として土御門様との取次ぎ役を勤めるとよかろう。」

権「先生、勇右衛門様がふさわしいかと思います。商人の私などが、とても勤まるお役目では・・・。」


勇「私は西洋の天文学を聞いて、疑問を抱いてしまいました。しかし、権右衛門殿は、西洋の学問を工夫して、天文道に生かしています。。私は、伝統的な天文道の教えをより深く学びたいと思う。だから、権右衛門殿は、多くの人にこの学問を広めてくれ・・・・なぁ、権ちゃん。」

権 「勇にぃ・・・」

春N権ちゃん、勇にい・・・小さい頃から私たちはそう、呼び合っていた。私に色々なことを教えてくれた勇にいの言葉に、私は涙が出てきた・・・。

こうして、私は安家天文道の継承者となった。そして、渋川春海先生の春の字をいただいて名取春仲と名乗った。


この時、私は二双の屏風を作った。秘蔵の坤輿万国全図。そして、春海先生の天文図を中心に、歴代の先生が作り上げた図を配置した。これは、私が学んだ学問の象徴だったのだ。

・・・・・・・・・(あとは、実際にご来館されてのお楽しみ。お待ちしています。)
(内容)
 ・一迫町の春仲顕彰碑
 ・「安倍家天文道補佐役天文生・名取春仲」
 ・春仲の門人たち一覧
 ・京都にのぼって講義を行う春仲
 ・三天・九道・北辰
 ・龍雷伝
 ・エンディング

(以上)